6月1日のジョークを大真面目に日本語で解釈してみました。この趣旨の解釈(どのような解釈でもご自由です)を英文にしてみませんか?英会話の話題としてもご利用ください。
モンデール副大統領は大統領選挙の時どのような経緯で4人いた副大統領候補の中からカーター大統領候補に選ばれたのか。それはこの4人が1人づつジョージア州プレインズにあるカーターの自宅に招かれた時に決せられたのだ。
一番手はジョーン グレンだった。彼はピーナッツ農場主だったカーターの気を引こうとして、「ジミー、僕はピーナッツが実っている木を見たくてうずうずしているよ。」と言った。彼はピーナッツが地中で生育することを知らず、クルミのように木に実っていると思っていたのだ。彼は自分でもよく分かっていないことについてしゃべる人物とみなされて副大統領候補からはずれた。
二番手のエド マスキーは「ジミー、僕はあなたの大好きなピーナッツを夕食で頂くのが待ちきれませんよ。」と言った。カーターは当時知名度が低く、その後大統領選が本格化してからも「ジミーってだれ?」という彼の解説記事が流行したほどだった。そのため20世紀前半にポピュラー音楽の元祖として家族全員で活躍したカーター・ファミリーの一族だと間違えている人が多かった。エド マスキーもその一人でカーター・ファミリーの代表作”Bring Back My Blue-Eyed Boy to Me”からの引用でカーターの気を引こうとしたのだ。カーターは自分を世間並みの(間違った)理解以上に理解しようとしていなかった彼を候補からはずした。
三番目に来たフランク チャーチは「ジミー、僕は一族の中で大叔父のシャーマン将軍が100年前にここを通過して以来最初にプレインズに来た人間だよ。」と言った。戦争に勝った北部の人たちにとって南北戦争は遠い昔の歴史上の出来事にすぎないが、負けた南部には未だにこの戦争を根に持っている人が多くいた。特にシャーマン将軍はジョージア州都のアトランタを焼き払った人物で、カーターは南部のど真ん中ジョージア州にやって来て軽々しく南北戦争時代の話をするこの男では南部を含めた全国民の共感は得られないと判断して候補からはずした。
最後にモンデールが来たとき、それまでのいきさつを見ていたロザリン夫人が「モンデール、気の利いたことを言おうとしてはダメよ。ただ黙ってなさい。そうすれば副大統領候補はあなたのものだわ。」と言った。モンデールがカーターと共に大統領選を戦って勝利し、副大統領、駐日大使等の要職を歴任して先日亡くなるまで民主党の中枢で活躍し続けることができたのは、この時彼がロザリン夫人の忠告に従って何も余計なことを言わなかったからだったのだ。